南の島 ジープ島ダイビング情報

毎日新聞掲載記事

世界海洋ボランティア協会の活動が毎日新聞の記事に掲載されました。

夏物語・遥の島から:
南の島で心癒やされ−−親とのきずななくした8人

 

 「なんだか、子守歌が聞こえそうや」。カヤックの上でうたた寝をしていたら声がした。振り向けば、いつもピリピリと神経をとがらせてきた美樹(17)が、穏やかなまなざしでエメラルドグリーンの海に浮いている。

 東京23区が入る世界最大級の礁湖に約80の島が点在するミクロネシア連邦チューク州。その中でもひときわ小さい無人島が、「ジープ島」だ。大阪の児童養護施設「遙(はるか)学園」(入所児202人)で暮らす8人と“母なる海”に抱かれる。

 養育放棄、失そう、家庭内暴力。親とのきずなをなくした子どもが全国550の施設で暮らす。そんな2万8000人の中の8人に、島に魅せられた大人たちがカンパを集めて贈った夏休み。南の島で、心癒やされていった子どもの「物語」をお届けする。=文中仮名、社会面につづく【文と写真・萩尾信也】

毎日新聞 2004年7月13日 東京夕刊

 

夏物語・遥の島から:
/1 魔法かけた南の楽園 大人に心閉ざした子どもたちに…

 閉ざした心を、熱帯魚たちがノックした……。

 「映画のニモみたいな魚がぎょうさんおるで」

 名古屋−グアム間を3時間半、さらに飛行機を乗り継ぎ1時間半と、ボートで30分。南海に浮かぶ星くずのような「ジープ島」が見えてくると、子どもたちは旅の疲れを忘れたように一斉に声を上げた。

     ☆

 事前に児童養護施設「遙(はるか)学園」(大阪府島本町)を訪ねたのは旅の2週間前のことだった。

 「誰や?」「何しに来たん」。問いかける子どもたちの視線は、なぜか私ではなく案内してくれた職員に向いていた。

 幼い子どもは部外者の私を遠巻きに観察し、遊んでくれる存在と知ると競い合うように「抱っこ、抱っこ」と甘え続けた。ただ背中一面に、たばこで焼かれた跡が残る男の子は最後まで目を合わせようとしなかった。

 あの感覚は島に着くまでつきまとった。
 

 1、2年後に高校や定時制、職業訓練校の卒業を控えた8人は、声をかけてもいつの間にか目をそらし、会話が長く続かない。首をかしげていると、引率役の山崎深寮長(32)が言った。「大人への不信感が心の隅に残っているんです。だから、他人との接し方がよう分からんのですわ」

    ☆

 そんな子どもたちが魔法にでもかかったようにまなざしを変えた。

 「魚が逃げへん。一緒に泳いでくれるんや」。先頭を切ってサンゴの海に泳ぎ出た瞳(16)は、夢見心地に声を上げた。

 「ほんまに地球は丸いんや。水平線が曲がっとるやろ。あれが伸びていくと丸になるやん」。裕子(18)は、360度広がる海を眺めて長いため息をついた。

 そして夜、歓声がまた上がる。「流れ星、見っけ!」。仰ぎ見れば、こぼれ落ちそうなミルキーウエー。夢を乗せて光の尾が走る。=子どもたちは仮名、つづく【文と写真・萩尾信也】

毎日新聞 2004年7月13日 東京夕刊

 

夏物語・遥の島から:
/2 自然の力おすそ分け ヤシ15本の島、心の再生の場に

 

 

 
 白州に流れ着いたヤシの実がひとつ。歳月は流れて、星くずのような島が生まれた……。

     ☆

 「いつの日か無人島で暮らしてみたい」

 吉田宏司、47歳。子どものころからの夢を追って十数年、休暇を見つけては赤道周辺の島々を巡った。サンゴ礁に囲まれ、15本のヤシの木が茂るジープ島と出合ったのは37歳のとき。以来、通い続けて3年。熱意にほだされるように、島を所有するキミオ・アイサック(故人)が言った。「夢を実現させましょうよ」

 旅行代理店役員の職と月20万円の都心のマンション暮らしを捨てて、97年にリュックひとつで上陸した。最初の3年はロビンソン・クルーソーのような生活だった。雨水をため、現地の人々が時折届けてくれる食料で飢えをしのいだ。朝日に励まされ、夕日に感謝する日々。テレビも携帯もない生活で、大自然への畏敬(いけい)の念を深めていった。

 1年後、ゲスト用にヤシの葉でふいた小屋を建てた。口伝えにうわさを聞いた日本人が次第に訪れるように。仕事や生活に疲れ果てた人々はサンゴの海で心を洗い、引きこもりや自殺未遂の過去を抱える人々は大自然の再生力をおすそ分けしてもらった。

 私(記者)が休暇を取って、島を訪ねたのは00年だった。「この島に魅せられた人々の力を借りて、悲しみを抱える日本の子どもを招待したい」。満天の星の下で、吉田は新たな夢を熱っぽく語ったものだ。
 

 あれから4年−−。児童養護施設「遙(はるか)学園」(大阪府島本町)の子どもたちと再訪した。吉田の思いに賛同した仲間たちがカンパで贈った旅だった。

 感嘆の声を残して、海に入る子どもたちの背中を見ながら吉田は言う。「心を痛めた人々に『がんばれ』という言葉はいらない。大自然の中に身を置いて、心と体を癒やしてほしい」

 島のヤシは23本になった。=敬称略、つづく【文と写真・萩尾信也】

毎日新聞 2004年7月14日 東京夕刊

 

夏物語・遥の島から:
/3 面影追い大工の道へ

 
 ◇ご神木に「父さんが帰ってきますように」

 島の東端にあるヤシの下で、偉丈夫の島の主、吉田宏司(47)が、小柄な孝之(16)に言った。「ご神木だ。何でも願いがかなうぞ」

 その言葉が終わらないうちに、孝之はご神木に飛びついた……。

    ☆

 孝之には母親に抱かれた記憶がない。2歳で両親が離婚し、父と二人になった。小2の時に一度訪ねてきた母を、「お母さん」とは呼べなかった。

 父は腕のいい大工だった。残業続きで毎日帰宅は深夜。工務店の社長の差し入れ以外は、独りアパートで自炊した。

 父が姿を消したのは小学5年の12月22日。下校すると机に封筒が2通あった。「たかゆきへ」と表書きした封筒には1000円札と「最後のおこづかいです」と書かれた紙が入っていた。並べて置いてあった社長あての手紙をのぞくと「どこか分からないところで死にます」という文字が目に飛び込んだ。

 児童養護施設「遙(はるか)学園」(大阪府島本町)にやってきたのは2日後のクリスマスイブ。「悲しくて、泣いてばかりやった」

 涙を止めてくれたのは年下の連中だ。「チビたちもがんばっとるやんって気持ち変えたんよ」。自暴自棄になった時期もある。たばこに万引き……。「オレには誰もおらんやろ。むしゃくしゃしてな」。そんな孝之に職員は真剣に向き合った。

 園の生活も残り2年。高校を卒業したら、盆暮れの休みに帰省先になってくれた工務店の社長の下で、大工の修業をするつもりだ。

    ☆

 翌日、私(記者)は孝之とサンゴの海にカヤックを浮かべた。「昨日は何お願いしたの」。と、こんな返事が返ってきた。

 「父さんが無事に帰ってきますように、腕のいい大工になれるようにってな」。そして、背伸びをしながら言葉を継いだ。「最高の夏休みや」=敬称略、子どもは仮名、つづく【文と写真・萩尾信也】

毎日新聞 2004年7月16日 東京夕刊

 

夏物語・遥の島から:
/4 心から時計消えた

 
 ◇自然に目覚めた「寝坊助」、丸くなった言葉

 島暮らし3日目。子どもの心から時計が消えて、女の子たちが化粧を落とした。

    ☆

 朝。水平線から昇る朝日が敏男の顔を照らす。金髪、剃(そ)りこんだマユ……。「遙(はるか)学園」では自他共に認める「寝坊助」が、ちょっぴり気恥ずかしそうに言った。「自然に目覚めたんすよ。朝日も結構、いいっすね」

 
 2歳の時、乳飲み子の妹と学園に預けられた。中学時代には不良グループに加わり、職員を奔走させたが、先輩たちが卒業すると「引退」した。「ええ年じゃないすか。ひとり立ちのために、職を身に着けようと思ったんすよ」。職業訓練校で塗装を習い、あと8カ月で卒園する。

 昼下がり。「サメと一緒に泳いだで」。鏡のような海ですっぴんの奈緒が手招きする。「最初はマジ怖かったけど、大きくないしな、『襲わへん?』って聞いて、仲間に入れてもろたんよ」

 1歳で入園。父親違いの妹や弟も後を追うようにやって来た。「食事遅いで」「クソ暑いな」。乱暴な物言いで、「何時や」と絶えず時間を気にしていた彼女の言葉が来島以来、丸くなったのはなぜだろう。

 思えば、学園では起床も食事も就寝も時間が子どもを動かしている。現行の法律では6人の子どもに職員が1人。勤務体制を考慮すると一度に1人で18人をみる計算だ。「時間で区切らんと追いつかんのですわ。もっと時間をかけて向き合いたいのですが……」。職員のため息が耳に残る。

    ☆

 夕刻。誰とはなしに野外のテーブルの周りに腹をすかせた子どもたちが集まってくる。メーンディッシュは地元の海で漁師が取ったロブスター。遠くの島影に沈む太陽を見ながら、子どもたちが言葉を交わす。

 「ぜいたくって、こういうのとちゃうか」

 「そやで。時を忘れるって言うやんか」

=敬称略、子どもは仮名、つづく【文と写真・萩尾信也】

毎日新聞 2004年7月17日 東京夕刊

 

夏物語・遥の島から:
/5 隅っこから一歩前へ みんな自分の心と力で泳ぎ出す

 
 殻にこもった子どもたちがいる。最初の一歩が踏み出せない……。

    ☆

 萌はいつも隅っこにいた。「島には行かない」。日本をたつ直前まで首を横に振り続けた。

 離婚を機に母親が心を病んだ。「父さんはすぐ手を上げる人やった。母さんはいつも下を向いとった」。中学1年になった年に弟と2人で「遙(はるか)学園」にやってきた。

 島の初日。サンゴの海ではしゃぐ仲間を横目に、萌はひとり砂浜で貝殻を拾っていた。

 
 2日目。穏やかにないだ海がやさしく彼女を誘う。引率役の元職員、坂本恵美(31)とひざまで海につかった。

 3日目。ボートで沖に出る。100頭ほどのイルカが迎えてくれた。エンジンを止めて一緒に泳ぐ。「かわいいで。萌もおいで」。みんなの声に、ライフジャケットを着けてボートのへりで肩までつかる。「キューン、キューン」。イルカが歌い、踊っていた。

 4日目。第二次世界大戦で沈んだ日本の輸送船の上にボートを止める。みんなを追って、萌がボートから手を離して泳いだ。水深15メートル。南国の太陽の光がマリンブルーの海に注いでいた。

 その夜、彼女はテーブルの隅っこの定位置から、ひとつ内側に座った。「こんなに自分からしゃべる萌は初めて見たで」。仲間の声に萌が声を出して笑った。

 そんな光景を見ながら、島の主の吉田宏司(47)が言った。

 「“泳げ”って強いてはいけない。僕らは危なくないかどうか、見守っていればいい。不思議なことにね。そのうち、みんな泳ぎ出すんです。自分の心と力でね」

    ☆

 翌日、萌は砂浜で母や弟、園の仲間への土産に、貝殻を拾っていた。

 「どうだい。島に来てよかったかい」「うん」

 輝くような笑顔から、小さな声が返ってきた。=敬称略、子どもは仮名つづく【文と写真・萩尾信也】

毎日新聞 2004年7月20日 東京夕刊

 

夏物語・遥の島から:
/6 目輝かせ、聞き入る 考え始めるまで、待ちましょうや

 
 ジープ島の海はかつてダイナマイト漁で荒廃した。吉田宏司(47)が奔走して、禁漁区にした。待つこと7年。サンゴはよみがえり、魚の王国が誕生した……。

     ☆

 山崎深(ふかし)、32歳。大学を出てサラリーマン生活を始めた。半年後、ふと立ち止まる。「やりたいことはこれなのか?」。翌95年、阪神大震災に遭遇する。辞表を出してボランティアに参加。その縁で、大阪府島本町の「遙(はるか)学園」に職を得た。

 中学2年の賢治が入園してきたのはその年の夏だった。盗み、恐喝、不登校。山崎は全身でぶつかったが、一向に結果が見えない。虚脱感の中で次第に距離を置き始めたある日、賢治が園を飛び出した。「最近、オレのこと心配しとらんやんけ」。捨てゼリフに我に返った。「大切なのは結果やない。過程や」

 あれから9年。賢治は結婚し、時折園に顔を出す。そして、山崎はジープ島で彼の後輩たちと夏を迎えた。

 <島では環境問題。60隻以上の日本の船が沈んだ海では戦争の歴史を>

 旅を前に、子どもたちに学んでほしい課題をこう決めた。だが、子どもは上の空。腕組みする山崎に吉田が声を掛けた。「考え始めるまで、待ちましょうや」

 
 数日後、沈船の上で泳いでいると裕子がキョトンとした顔で山崎に聞いた。「日本はアメリカと戦争したんか」。脇から佳子が口を挟む。「サンゴって生きとんのか」。翌日、浜辺のゴミを美樹が拾いながら言った。「きれいな海にゴミは似合わへんな」

     ☆

 旅も終わりに近づいた夜、星空の下でみんながテーブルを囲んだ。吉田が語る戦争の歴史やサンゴを巡る生き物たちの物語に目を輝かせて聴き入る子どもたちがいた。

 その傍らで山崎が言う。「過程を尽くして、あとは待つ。僕の旅の収穫です」=敬称略、子どもは仮名つづく【文と写真・萩尾信也】

毎日新聞 2004年7月21日 東京夕刊

 

夏物語・遥の島から:
/7止 夢を持って生きよう 穏やかに時刻み、自信も芽生え
 

  夢は? そう問われると、言葉に詰まる子どもたちがいた。山崎深寮長(32)が言った。「日常生活に追われ、夢など考えたことも……」。旅の初めのことだった。

    ☆

 それから1週間。帰国を前に、彼らはそれぞれのやり方で時を刻んだ。

 「帰りたくない」と頭を振る瞳を誘って、カヤックで海に出た。西日を浴びながら、彼女は島で見つけたささやかな夢を口にした。「絶対、帰ってくるで」

 サンゴの海では、「日焼け女王」の裕子が時を忘れて熱帯魚と泳いでいた。「泳ぎ名人」の敏男は島の主の吉田宏司(47)にスキューバダイビングの手ほどきを受けた。「ダイバーの免許取ったる」。ここにも夢を見つけた少年がいる。

 浜には萌の姿があった。「ほんま、泳げるとは思わんかった」。小さな自信が芽吹いていた。

 ヤシの木陰では美樹が夕日を見ていた。人につっかかってばかりいた彼女の顔がずいぶん穏やかになった。「イラつく時は深呼吸や」。その言葉には、思わず笑ってしまった。

 ベンチでは、奈緒が宿帳代わりのスケッチブックにこうつづった。<お母さんと兄妹を連れて来ます……私の夢はすべての人を助け、感動とやさしさを伝えたい>


 近くで孝之が、毎日食事を作ってくれた地元の料理番の女性に折り紙の鶴を渡していた。「いつでも帰っておいで、私はジープ島のお母さんだよ」「オフコース」。そんなやりとりがあった。

 そして、最終日に17歳になった佳子は、吉田が差し入れたケーキのろうそくを消して、「最高や」の言葉を連発した。

    ☆

 ジープ島では今年、数百匹の子亀が大海に巣立っていった。

 山崎はスケッチブックの最後のページにこう記している。<子どもたちが夢を持って生きて行けますように>=敬称略。子どもは仮名おわり【文と写真・萩尾信也】

毎日新聞 2004年7月22日 東京夕刊

 

★ジープ島トップへ    ●お問合せ      ●ツアー案内

 

Copyright ©2003-2004 JEEP Island All rights reserved.